いわゆるワーキング・タイトルとは作業上のタイトルで、とりあえず便宜上の仮題であったり、確定したものが後に変更されたものと思われる。また解釈によっては同曲に同意しないファンもいる。幾多の変更に我々はフロイドの"迷い"を感じ取ることができるかも知れない。
ワーキング・タイトル あれこれ (『 』内はアルバム名、「 」内は曲名、太字は正式な原題)
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私を取得するために来てパラノイアのみんなの
[写真] 左はメーリングリストのテープトレードのもの(非売品)と思われる。右はブートレグのもの。ともにピンク・フロイドの関与したものではない。なかなか素敵だから、単にイメージ効果のために借用させてもらった。
ピンク・フロイドの表の歴史では、『神秘』の次に(ビジネス的なサントラの『モア』の3カ月後の)『ウマグマ』を経て『原子心母』と続くことになっている。だが、『神秘』リリース後の1969年、あるコンセプト・アルバムのアイデアをあたため、パフォーマンスを試みていた(『モア』はスタジオで1週間で制作されたと言われているが、それさえもそのプロジェクトの未完作品がいわば流用されたようである)。そこに興味深い、いわばフロイドの"裏の歴史"が見えてくるのだ。
それは『The Massed Gadgets of Auximines/オーグジマインズの集積装置』と呼ばれたが、かなり演劇的なプロジェクトだったようだ。これは『The Man/人間』と『The Journey/旅』という二つの組曲からなるもので、両者を併せてファンの間では『The Massed Gadgets…』よりも『The Man & The Journey』として語られている。
このプロジェクトは、実際にステージ化されたため数種のブートレグがあり、片鱗を知ることができる。この14曲からなる『The Man & The Journey』はアルバム公開には至らなかったので、未発表曲の宝庫のように期待するファンもいるだろう。しかし、14曲のうち完全な未発表曲はたったの2曲である。下記がそのタイトル全貌(今井訳)で、( )内が公式なリリースタイトルと思われるもの。
The Massed Gadgets of Auximines/オーグジマインズの集積装置 The Man/人間 The Journey/旅 |
「Sleeping/睡眠」はサントラ『砂丘』の中の「Oenone/オイノネ」(これも未発表ではあるが)と思われるため、実質彼ら自身が封じた未発表曲は「The Labyrinth of Auximines」だけと思われる。こうしたことから、この破棄されたプロジェクトにはさほど重要性がないと思われる方が多いに違いない。だが私には、ここにピンク・フロイドの荒削りの原石のようなものが感じられるのだ。
「The Labyrinth of Auximines」は名曲である。未発表曲「Corrosion」とともにブートレグでしか聞かれないそれらは、フロイドしか作れない絶妙の音空間に誘う。お気づきかな……「The Labyrinth of Auximines/オーグジマインズの迷宮」──『幻燈の中の迷宮/The Labyrinth Through the Fancyscope』──この類似、実は計算されたものだ。
洋書の『Echoes, the story behind every Pink Floyd Song』のクリフ・ジョーンズは『The Journey』を「a musical voyage from birth to death(誕生から死への音楽航行)」と表現している。前述「Corrosion」は"腐敗"を意味するが、「原子心母」の「むかつくばかりのこやし/Funky Dung(悪臭ただよう牛の糞)」のプロトタイプと思われるのだが、腐敗=糞は"死"と同義だ。また"誕生から死への音楽航行"とは『狂気』のサブタイトルになりそうだ。
そう、『The Man & The Journey/人間と旅』とは、日常と非日常の対比、生と死の対比を音楽体験する最初の試みだったにちがいない。そしてそれはより模索され、『原子心母』から『狂気』までに開花した。
ピンク・フロイドは現実逃避の音楽だという批評があるが、フロイドに現実逃避の意図があるのと、リスナーに逃避の欲求があって聴くのとでは意味が異なるはず。非現実・非日常に逃げ込む(そして居座る)ものは、そこから脱するに多くの努力を要するが、もしそれが"旅"であれば、日常に戻るのに努力はいらないかも知れない。"The Man & The Journey"という語彙にはそんな覚醒された意思を感じるのだ。
さて、問題の「Auximines/オーグジマインズ」("Auximenes"とするものもある)とは何であろうか。好奇心をくすぐるとみえてここ数年、何度も新たな解釈が出されては紆余曲折し、結局"迷宮"入りしている。1999年5月〜6月にも解釈が白熱したが、決定的な答えには至らなかった。ここではその諸説を別のページにレポートしてみた("ここ"をクリックすべし)。
なお『The Massed Gadgets of Auximines』のパフォーマンスには「More Furious Madness from the Massed Gadgets of Auximenes/オーグジマインズの集積装置からのより激しい狂気を」というキャッチフレーズがあった。ここでフロイド史上最初に"狂気"に言及しているのは興味深い。
「光を求めて」──「Let There Be More Light!/もっと光を!」──これはいわばアポロの方法である。「More Furious Madness...!/もっと激しい狂気を!」──これはディオニュソスの方法である。アポロとディオニュソスの対峙と読めよう。
ピンク・フロイドの最大の象徴に"太陽"と"月"がある。これは何を象徴しているのであろうか。太陽は「太陽讃歌/Set the Controls for the Heart of the Sun」として初期から登場したが、『狂気』ではその太陽が月に侵されると歌うのは、ディオニュソスがアポロに勝ることを意味すると解釈した時、この太陽はアポロ的なものを象徴していると考えられる。「もっと激しい狂気を!」とはあたかもニーチェの言葉のごとくではないか。
ときにジョン·レノンは想像を書きましたスウェーデンの Johan Lif さんは独自の符合による解読を試みた。紹介しよう。
『The Journey』には、ギリシャ神話のテセウス伝説との2、3の類似性がある。テセウスが16歳のとき、アテネで彼の父を見つけるために有名な旅に出た。旅の間、彼は多くの「海の生物 creatures of the deep」と Periphetes のような怪物と Sinis によって襲われた。言うまでもなく、彼はそれらみなの命を奪った。彼は Geraneia に危険なほどに狭い山の小道(「The Narrow Way」)を歩きそして Schiron に直面しなければならなかった。未来の冒険は、クレタ島へ彼と迷宮(「The Labyrinths of Auximines」)をミノスについてとった。彼の死の後に、アテネの人々は彼の敬意で神殿を建てた(「Behold the Temple of Light/光の神殿を見よ」)。
唯一私が符合させることができないのは「The Pink Jungle」である。ひよっとして、それがアマゾンとのテセウス戦いと Hippolyta(アマゾン女王)との彼の結婚と何らかの関係を持っている? それがなぜするか私は知らない。 Scythiaにはどんなジャングルもなかった。しかし、それは正しいように感じるのだが……。
(Echoes メーリングリストより)
うーん、おもしろい。今回ここに挙げた「ピンク・フロイドの裏ヒストリー」のような話題は日本ではまったく歓迎されない。ところがメーリングリストの連中はこのような話題を持ち寄り、私的な解釈を述べ、些細なことにもかかわらず年中議論している。おもしろい点は、我々日本人が意味不明な歌詞のフレーズに出合った時、翻訳の理由で理解しにくいと考えたりするが、英語圏の人々も同じなのである。『ピンク・フロイド 幻燈の中の迷宮』は英語化されれば、抵抗なく受け入れられると確信している。
正規盤のピンク・フロイドのみ知る人はその存在を知らないで過ごしてしまうが、初期のブートレグを少しでもかじった人なら馴染み深い曲がある。それが「Embryo」である。また、徹底した素材が強味の『ピンク・フロイド[神秘]』(宝島社)でニコラス・シャッフナーが触れなかったように、「Embryo」は表通りのフロイド・ヒストリーでは無視されるのだ。
それが「エンブリオ」(ウォーターズ作)で、"胎児"と訳すことができる。曲の感じはとことん暗く、胎児にささやきかけるようなボーカルは、誕生した幼児にささやきかける「生命の息吹き」を連想させる。
スタジオ録音のものはハーベストのサンプル盤『Picnic』(七〇年)に収録されているが、これはノーマン・スミスがフロイドの許可なしで勝手に持ち出したデモテープらしい。録音も悪い。EMI時代のベスト盤『ワークス〜ピンク・フロイドの遺産』(八三年)には納められているが、これはアメリカの編集らしく、選曲・ジャケットともに悪趣味でフロイドが関与したとは思えない。つまり、フロイド自身の意志ではこの「エンブリオ」は一度も公開されていないのだ。
(『ピンク・フロイド 幻燈の中の 迷宮』より)
私は「Embryo」の作曲時期を知らなかったので、著書では「『ウマグマ』〜『原子心母』期」と曖昧にしたが、サントラ『ボディー』(1970年、胎児に関する曲もある)の仕事の中から出てきたとも推測していた。しかしその後、1968年12月2日というブートレグがあって、『ボディー』との関連は否定された。意外と古い作品なのだ。
「Embryo」はシャッフナーでさえ無視したが、『Echoes, the story behind every Pink Floyd Song』(クリフ・ジョーンズ著)では重視されている。「『Embryo』は『ウマグマ』のために録音されたが、構成にフィットしなかったので落とされた」とある。また、ジョーンズは「Embryo」を組曲『The Man & The Journey』に含まれたと書いているが、確かにデヴィッド・ギルモアもインタビューでそう答えているが、どうもギルモアの勘違いらしいというのがメーリングリストでの見解である。
ベスト盤『ワークス』の「Embryo」は4分39秒とシングル盤なみだが、ブートレグのものはどれも15分前後であり、特別入手したテープのものは鳥肌が立つほどすばらしいギルモアのインプロビゼーションを中心とした26分の作品であった。いかに不確定な作品であったかが伺われる。
以上のように、1968年に作曲され、『ウマグマ』収録を逃し、その後も頻繁にプレイすることを愛された「Embryo」は、産まれ出るタイミングを逃したように見える。
下記はクリフ・ジョーンズの本から。今井の下手な翻訳で申し訳ないが、彼は「Embryo」を� �狂気』〜『ザ・ウォール』の原点と見ている。
何が外界で起こるかと思案する胎児の考えに関し、「Embryo」は『狂気』と『あなたがここにいてほしい』と『ザ・ウォール』で充分にロジャー・ウォーターズが後で発展する妄想(恐怖と疎外と不安)の予見である。ウォーターズは、胎児の考えを通してやがて生まれる人間の汚れなき希望と幼年時代の純粋性への彼の憧憬を探究し、そして世界は誕生の瞬間からその純粋の系統だった腐敗を始めるというアイディアを具体化させる。運命づけられた裏切りのこの意味が、『ザ・ウォール』を著しく支配する。崇高な憂鬱で揺れているメロディーを、ほとんどささやくようなデイヴ・ギルモアのボーカルは、ウォーターズの反復的なオクターブベース音によって下から支えられ、またライトのたった一つのピアノ音とだらだら続くフルー� ��メロトロンは、羊水の穏やかな浮き沈みを模写する。
(『Echoes, the story behind every Pink Floyd Song』洋書/クリフ・ジョーンズ著/Omnibus Press発行)
「Embryo」は日本のライターの記述にもまったくと言っていいほど登場しない。彼らにとって「Embryo」は、ブートレグ・マニアのお好きな、単に未完のピースに過ぎないのだろう。つまりこうだ、何故フロイドは"胎児"というモチーフを取り上げたか。『幻燈の中の迷宮』の今井壮之助の記述は主にこの胎内論と言ってもいいのだが、フロイドの核心には胎児がいる、という前代未聞の仮説でもある。一方、クリフ・ジョーンズは「Embryo」のページにA4サイズの特大な胎児の写真を載せたが、私はそういう"物"としての意味で述べているのではない。言い替えれば、魂のふるさと、精神の起源というような観念である。
そんなテーマを3分の曲に表現できるはずがなく、だからボツにしたというのが推測である。そして、私 に言わせれば「Embryo」の歌詞は幼稚でお粗末なもの。なぜならば、胎児は自分の小ささを自覚し、子宮の狭さを感じ、外界の光を見たいと歌っている。それは大人の発想による偏見ではないか。
私が持っているカント何モリッシー
胎児の記憶としてたびたび挙げられるのが、大洋もしくは宇宙に浮かぶような抱擁感である。胎児は己自身とその環境の大きさを知らない。したがってそれを宇宙とか海というような漠然とした記憶として潜在意識に留めるのだろう。
(今井壮之助/映画『グラン・ブルー』パンフレット/日本ヘラルド映画発行)
著書は「Embryo」が『ウマグマ』以前のものだとは知らずに書かれたものだが、こうなるとタイトル"Ummagumma"の解読は69ページの前半のものとうまく繋がってくると予感している。なお、『ウマグマ』から落とされた曲は、他に「Oenone」と「Fingal's Cave」というともにサントラ『砂丘』でボツになったものがある。私の記憶では「星空のドライブ」も同じステージでプレイされたと聞いたが、これのみ不確実。
※胎児の観念あるいは子宮への回帰といったボキャブラリーは、ロックファンの会話にはまず出てこないものだが、古くから神秘学や心理学では必須タームである。例えば別のページ、コラム1の『元型と象徴の辞典』やコラム5のペリー博士の言葉にもあるような意味である。それは同コラム5のアンソニー・ストーの言う、世界の最も内奥にある本質を表現しうる音楽としての「幼児期のニルヴァーナ」あるいは「大洋的なエクスタシー」である。
※英単語"embryo"は受胎後8週(約2カ月)以内の虫みたいな胎児をいい、フロイドが歌っている臨月の胎児は"fetus"としなければならない。もっとも、真名井拓美氏は embryo が fetus に移行する瞬間に"したたり"によって目覚めると言うから(著書100ページ参照)、それが「エコーズ」のイントロであると私は思うのである。
『Household Objects』は1973年、バケツ、ヤカン、スプレー缶、ゴムひもなど身近な日用品を楽器にして録音されたミュージック・コンクレートだが、その作品(3曲)はいまだ日の目を見ていない。
「狂ったダイアモンド」には『Household Objects』として作曲された断片が流用されているという話である。予想するに、第1部のイントロ、または第2部のイントロあたりか。
ところで、雑誌『Marquee』(vol.54 1994年)にはこれが「Window」「Reading The Paper In The Bath Of A Sundy」「Stream Iron vs. The Kettle」「Comfortably Crumb」という4曲だったと書かれているが、これをメーリングリストで発言して大ハジを書いたことがある。なんとその真相は、イギリスのファンジン「Amazing Pudding」の"エイプリルフール"だったのだ。
以上、知られている事柄はあまりに少なく、そのコンクレートとしての音の断片さえ聞くことはできない。しかし推論なら私のオハコだ。
前述の『The Man & The Journey』の「The Man」のコンセプトは「アランのサイケデリック・ブレックファスト」に発展したと思われる。そして『Household Objects』もその延長にあるだろう。ミュージック・コンクレートは単なる手法の名前であって、その音を用いて何を表現するかは別の問題だろう。歌詞があればそこで何が語られるのか。またはコンクレート自体がコンセプトならば、そのテーマは"現実/日常"となるのではないだろうか。
ピンク・フロイドが幻想派に属さないのは、現実と非現実の接点を常に前提としたシュールレアリスム派に属するからだというのが私の持論である。
なお、このミュージック・コンクレートのアイデアは『狂気』の成功後に浮かんだかのように語られてきたし、私の著述でもそうだった。しかしメーリングリストの中に1971年にすでに発案されていたとあり、また次の記事も手元で見つけた。
History of Pink Floyd
1973. 6. 11 アビー・ロード・スタジオで新アルバムの録音を開始。これは71年初めから考えていた"ハウスホールド・オブジェクツ"(家庭器具)を用い、楽器や音楽装置は一切使わず、その自然音やそれをテープ操作する。
(Rockin' Balls vol.6/1977年1月10日/ロッキン・ボールズ編集室発行)
71年初めといえば、それは「エコーズ」制作の真っただ中である。あの音を作りながら家庭器具を楽器化する構想を生むのは、凡人ではできぬことだ。同時にそこで「狂人は心に/Brain Damage」の歌詞も生まれていたというではないか。
整理してみよう。「エコーズ」制作の真っただ中で「Brain Damage」や『Household Objects』の原案を生み、それは「スピーク・トゥ・ミー」や「マネー」のイントロのコンクレートへ発展した。そしてまず『狂気』を完成させ、さらに『Household Objects』へ戻って具体化を図った……。そういう順番だったのだ。
サントラ『砂丘』完全版
1970年にリリースされたサウンドトラック『砂丘/Zabriskie Point』に、ピンク・フロイドの作品は下記の3曲しか収録されていなかった。監督ミケランジェロ・"イモ"・アントニオーニがフロイドをお気に召さなかったのはご存じの通り。ところが30年近くたった1997年、映画未使用の作品を含めた全曲が2枚組CDとして登場したのだ。だが「Unknown Song」とあるのは、フロイドがこのリリースに関与していないことを意味するかも知れない。
砂丘/Zabriskie Point(ピンク・フロイド作品のみ列記) Disc 1: 若者の鼓動/Heart Beat, Pig Meat (3'11") 崩れゆく大地/Crumbling Land (4'13") 51号の幻想/Come In Number 51, Your Time Is Up (5'01") Disc 2: (ピンク・フロイド作品の合計:37分14秒) |
「アンノウン・ソング」は70年代からブートレグに「Rain in the Country」と表記されていたものとまったく同曲。「ラブ・シーン(バージョン6)」はブートレグで「Pink blues」としておなじみのオーソドックスなブルース・ナンバー。また同様に『砂丘』のアウトテイクと言われていた「Violent Sequence」と「Oenone / Fingal's Cave」が、今回の完全版からも落とされた。「Violent Sequence」は「アス・アンド・ゼム」のプロトタイプと言われているもので、"バイオレンス"とは程遠いピアノのみの静かなバラードだ。「アス・アンド・ゼム」のある今、この封印は当然の処置であろう。
このコラムは裏ヒストリーを探るのが趣旨なので、このCDについてはこのくらいにする。問題は「Oenone / Fingal's Cave」だ。なぜかこの2曲はブートレグで必ずペアになっているが、まったく別個の曲。両者は静と動の関係にあり、『雲の影』の中の「雲の影」と「ホエン・ユアー・イン」が必ずペアで演奏されるようなものだろう。
今回公開されたアウトテイク集から漏れたこともあって、はたしてその2曲が本当に『砂丘』のサウンドトラックだったのか、不審にすら思えてくるのだ。なぜならば、アウトテイク集にはどうでもいい曲が多く、そして「Oenone」は抜群の佳作だからだ。
Oenone/オイノニ
「Oenone」は「Oneone」という表記もブートレグにあり、誰かのミスと思われる。これが"one-to-one"なら"1対1"という意味だが、"one-one"という英語はないようだ。"Oenone"ならそれはギリシャ神話のヒロイ� �(または惑星)の名前である。映画『砂丘』はアメリカのカリフォルニア・死ノ谷が舞台で、ストーリーにもギリシャ神話に触れたものはなかった。またワイルドな曲「Fingal's Cave」は、これまたフィンガルの洞窟 (スコットランド西部のヘブリジーズ諸島の Staffa 島にある洞窟)であって、映画との関連は希薄である。
「Oenone」の演奏はフリーフォームな甘いキーボードとフリーフォームなか弱いギターが絡み合うもので、ベースもドラムスもない。ふわふわとしたフロイド独特の浮遊感はこの曲に極まる。朦朧としたエクスタシー、粘る羊水のなかの陶酔境。別記の『The Man』のなかの「Sleeping」の別バージョンである可能性もあるが、夢心地そのものである。
「Oenone」が確かに映画『砂丘』のアウトテイクであり、それがギリシャ神話のヒロインの名前であるという前提で、その関係を解読してみよう。
ギリシャ神話のヒロイン、オイノニはイデ山のニンフでパリスの妻であった。パリスはヘレネと恋仲になったが、怪我を負ったためにオイノニの治療力を頼ってくる。しかし自分を棄てた夫を許せず、追い出してしまう。その直後に後悔したオイノニは追いかけるが、パリスはもはや死んでいた。悲しみのうちに彼女は首を吊って死ぬ……。
映画『砂丘』では、ダリアの恋人マークは、盗んだ飛行機をわざわざ返しにいって狙撃される。そのニュースをラジオで聞いたダリアは、悲� �みのうちに爆発シーンの幻覚を描く……。
ダリア=オイノニ、マーク=パリスという類似をフロイドが見た可能性があるが、ダリアとマークにはトラブルがなかったし、ダリアには懺悔の心理はなかったと思う。だが、とかく神話は伝承や解釈の相違から異なったストーリーが広まっているので、「Oenone」と『砂丘』の符合は保留せざるを得ないようだ。
余談だが、映画内のマーク・フレチェットとダリア・ハルプリンという名前は俳優の本名そのままである。そして二人は実際に恋人となり、映画界を捨ててヒッピーのコミューンに行ってしまったという。またフレチェットはその後銀行強盗で逮捕され、1975年に事故死している。映画のストーリーそのままである。その当時のダリアとの関係と死に直面した彼女の心境を� �りたいものだ──それが「Oenone」の神話の悲劇の再現であるかどうか。映画の内容よりも興味深いものである。
Fingal's Cave/フィンガルの洞窟
次は「Fingal's Cave」である。演奏は「Oenone」とは打って変わってワイルドそのもの。これほど走っているベースのフロイドを私は知らない。単調さが難か。「フィンガルの洞窟」はメンデルスゾーンの作品にもあるスコットランドの島にある洞窟だそうで、「
映画には一応、洞窟らしきものは出てくるが。"洞窟/cave"といえば「エコーズ」の"coral cave/珊瑚礁の洞窟"であり「毛のふさふさした動物の不思議な歌/Several Species of Small Furry Animals Gathered Together in a Cave and Grooving with a Pict」の"Cave"だ。フロイドにとっての洞窟、これまた意味深である。私は独断的解読を持っているが、いずれ語るべき日が来るだろうか。
『砂丘』のピンク・フロイド作品の合計は37分14秒だが、これに「Oenone / Fingal's Cave」(計8'15")が加われば45分の、完璧に1枚のアルバムとなったはず。
またもう一つのサウンドトラック『モア』にも「Hollywood」と「Theme (beat version)」と「Seabirds」というアウトテイクの存在も噂されているが、ビデオで聴ける「Seabirds」以外は未確認。
《番外》若者の鼓動/Heart Beat, Pig Meat
「若者の鼓動」は1970年にリリースされたLPにも入っていたし、映画のオープニングでもちゃんと使われていて問題はない。だが私は個人的に困惑している。
映画を見た人からオープニングにはLPの「若者の鼓動」が流れたと聞いた。しかし私がTVで見た『砂丘』のオープニングには聞き慣れない曲が流れたのである。それは「若者の鼓動」の別バージョンと言うにはあまりにもかけ離れていたし、しかしコラージュされた人の声とギターや作風はかなりフロイド風だった。このことを何人かに話したが、謎のままである。ところがある日、それが「ピッグ」を速く演奏しているかのように聞こえたのだ。ことによく動き回るおどけたようなベースは酷似していた。そう、あの動き回るベースが"ブタ"な ら"Pig Meat"と符合するだろう?
サウンドトラックの「若者の鼓動」はコラージュ主体のミニマル・ミュージック的な処理だったためシュールだったが、TVのものはちゃんと演奏していてむしろ映画にフィットしていた。このトラックがもしフロイドのものであれば、「Heart Beat, Pig Meat- version 2」としてアウトテイクのリストに加えられることになるだろう。事の真相をどなたかご存じであれば、メールをください。
そのTVで流れた「若者の鼓動」とおぼしき曲をMP3に作ったので、聴いてみてください。私にはフロイドに聞こえるし、大好きなのだが……。 |
なお、映画のなかで街をドライブするバックに流れる曲(効果音的なものとファンキーなもの)はフロイドのにおいがするが……。また、私がTVで見た映画は「51号の幻想」で終わるのでなく、未知のエンディング・テーマが流れたものだ。その歌のなかで明らかに「zabriskie point」という歌詞が聞こえたが、ひどい歌だった。
おわりに
さて、こうした探索(ごみ箱あさり?)から知ることができたこれらの作品の封印が将来解かれることはあるのだろうか。デヴィッド・ギルモアは明快に応える。
発売されていない曲が豊富にあるなんてことは、絶対にないからね。仮に俺たちが飛行機事故で死んで、ピンク・フロイドの作品を今までとは別に三十四曲リリースしようと資料を掘り返そうとしたところで、そりゃ大変な骨折り損になるだろうな。
(『ピンク・フロイド BRICKS IN THE WALL』カール・ダラス著/CBS・ソニー出版より)
……だとさ。エイドリアン・メイベン監督も『ライブ・アット・ポンペイ』のアウトテイクの存在を否定していたものである。
こうした裏の歴史は必ずしも知っておく必要はない。しかし、マスメディアの描いたフロイド像が荒い目のザルですくったような粗雑なもので、その網目からは多くのものが漏れ落ちているのだ。それをこうした素材からも検証できるが、あなたはこのページのマニアックな綿密さに驚く前に、実際フロイドがこうしたバックグラウンドを持っていたことを理解してほしい。ラリって思いつきで作っていたのではないのだから。
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