ロードアイランド州の医療カナビス
300人が生きる力を取り戻す
Source: Providence Journal
Pub date: September 07, 2007
Title: For More Than 300 Rhode Islanders, Marijuana Provides Legal Relief
Auther: Amanda Milkovits, Journal Staff Writer
育児もできなくなったケリー・パワーズさん
ロードアイランド州ワーウィックに住むケリー・パワーズさんの健康は2年前を境にすっと遠のいていった。31才の誕生日に夫からバイクをプレゼントされて免許を取にいったとき、視力テストにひっかかって何か悪いことが自分の中で起こっているのに気付いた。
それ以来、頭痛が慢性化するとともに、しばしば体がまともに動かなくなった。生まれたばかりの娘の哺乳瓶を持つのにも苦労するようになり、やがて、赤ん坊を抱きかかえるのも危なっかしくなってしまった。
多発性硬化症だった。1年もしないうちに病気が進み、体が十分に動かなくなってデイケアの仕事も続けられなくなった。それからはベッドに引きこもる毎日だった。
医師たちは1日に2� �から30種類ものピルを処方するようになり、彼女は自分がゾンビになった感じがした。自動車で息子を小学校に連れていくこともできなくなった。電話していても何を話しているのか分からなくなり、知らない間に眠ってしまう。外出することはほとんでなくなり、寝室から出ることすら滅多になくなった。
夫のボブは電気工の仕事を続けながら家事もこなしていた。二人の母親も家へ来て面倒をみてくれた。夜になると彼女の妹がやってきて2人の子供たちを寝かしつけてくれた。「自分をダメママだと感じていました、自分の子供の世話もできないのですから。でも今は違います。誰でもやっていることすべてができます。自分の人生をこんなに愛おしく思ったことはありません」 とパワーズさんは言う。
ボブは彼女が� �みで苦悶している日には、オークランド・ビーチのカラオケで二人が出会った時の思い出の歌、ガンズ・アンド・ローゼズのバラード「ペイシェント」を優しく歌って励ました。
「夫は私を助けて上げられないと言って泣いていました。あまりに痛みがひどくて私に触ることも躊躇していました。私も自分ではありませんでした。痛みの激しさに薬を飲みすぎて落ち込み、人に顔を合わせるのも嫌になってしまいました。」
ロンダ・オドンネルさんとの出会い
パワーズさんは、多発性硬化症患者支援グループで自分のことを分かってくれる女性に出会った。ロンダ・オドンネルさんだった。彼女も31才のときに多発性硬化症と診断され、視力がぼやけて足を引きずるようになり看護師の仕事を続けられなくなった。� �女はケリーさんに言った。「哀れみの中に引きこもることもできるけど、そこに居ついちゃダメ。」
現在44才になるオドンネルさんは車椅子に乗ったダイナモのように活発な人で、ロードアイランド州の慢性患者がカナビスを合法的に利用できるようにするために州議会に働きかけてきた。
一方、彼女の息子でロードアイランド大学で学んでいるトム・アンゲルさんは、寄宿舎で友だちから熱心に口説かれて、学生に対するドラッグ政策の改革を求めているSSDP(Students for a Sensible Drug Policy)というグループの代表(現在は国会担当)を務めていたが、ある会合で妻がカナビスで痛みを緩らげているという人の話を聞いて、自分の母のことを思い出した。
オドンネルさんは息子のアンゲルさんと共に、医療カナビス法に成立に向けて州議会にロビー活動を続けた。法案は、議会を通過したあとカーショリー知事の拒否権にあったが、議会はそれを覆して法案は2006年1月に1年間の暫定期限つきで承認された。さらに、今年の夏には、暫定法を恒久化する法案も通過している。
パワーズさんは、州の医療カナビス法が発効した2006年5月1日に看護士だったオドンネルさんと一緒に医療カナビス患者認定カードを手にした。しかし、パワーズさんはまだ気持ちの準備ができていなかった。
彼女は親戚� ��何人かがドラッグ中毒で苦しむのを見ていたので、自分は一生やりたくないと思っていた。また、カナビスを使うことで偽善者になるのではないかと悩んだ。娘はよちよち歩きだが、小学校に通い始めた息子はもう物事が分かる年になっていた。違法なドラッグを使っていることをどのように説明したらよいのか? 先生はどう思うだろうか? 教会の仲間たちは? ・・・
ロードアイランドの新しい医療カナビス法
正式名称はエドワード・ホーキンス&トーマス・スレター医療カナビス法と呼ばれる新しい州法では、癌、HIV、多発性硬化症などの重度の病状をかかえる患者さんが最高12本までの植物と2.5オンス(71g)までのカナビスを持つことが認められている。
あなたは私の人生スティービー·ワンダーのunshineです。
また、過去にドラッグで重罪に処せられたことのない成人ならば、患者さんの世話をする「ケアギバー」としてカナビスを栽培・所持することができるようになっている。1人のケアギバーは5人までの患者さんを担当することができ、1人以上担当する場合には、最高24本の植物と5オンス(142g)まで、1人の場合は植物12本と2.5オンスまで、患者用カナビスを持つことが認められている。
州保健局の発表しているデータによれば、先月初めに認可を受けている患者数は302人で、ケアギバーは316人、患者に医療カナビスを推薦した医師の数は149人になっている。また、ケアギバーの申請にあたっては、ド� ��ッグ重罪の前歴で10人が拒否され、規定を越えて多量の本数を栽培して認定カードを没収された人が、それぞれケアギバー1人、患者1人となっている。
残されたグレーエリア
医療カナビス法には、普通の処方医薬品にはないグレーな部分も残されている。
連邦法ではカナビスは違法のままになっているので、ロードアイランド当局は、どのようにしてカナビスを入手するか、あるいは栽培法や使い方について患者たちに何も示していない。したがって、患者は植物を自分自身で育てるか、栽培を認められたケアギバーを探さなければならない。場合によっては、ストリートでディーラーから買うことになる。栽培では、最初の収穫までおよそ1年かかるだけではなく、苦労したあげく病虫害で収穫できないことさ� ��ある。
カーシェリ知事は医療カナビスに反対し、医療カナビス法案に2回拒否権を行使している。いずれも議会で覆られているが、反対理由には、合法的にカナビスを入手できないことと、警察などの関係者がカナビスを「ゲートウエイ・ドラッグ」とみなしている点を指摘していた。これに対して、法案を支持する人たちは、カナビスには従来の処方医薬品のような副作用がなく、迅速に痛みを緩和する作用があると主張した。
一部の患者さんたちは、連邦麻薬局(DEA)が自分たちをターゲットにするのではないかと懸念を語っている。また解雇されたり、連邦の住宅助成を打ち切られるのではないかと心配する人たちもいる。
実際カリフォルニア州では、DEAは、医療カナビス認定カードを持った患者たちにカ� �ビス製品を販売している数十軒のディスペンサリーを強制捜査して閉鎖させ、ロスアンゼルスでは、ディスペンサリーに店舗を貸している大家に対して、起訴したり財産を没収すると警告している。またオレゴン州では、カナビス栽培者の捜査で、州の医療カナビス・プログラムに登録されている医療記録をもとに警察が患者を召喚したりしている。
しかし、DEAのニューイングランド地区のアンソニー・ペッティグロー担当官は、カナビスの所持が連邦法に違反しているとはいえ、「これまで、DEAは病人や死期の迫った患者さんをターゲットにしたことはありません」 と言う。関心は組織的な違法ドラッグ取引にあり、「自分は22年間ここで仕事をしていますが、実際に、ジョイント1本の所持で連邦刑務所に入れられた 人など一人も見たことはありません」 と言う。
オドンネルさんも、州の医療カナビス法にはまだ未解決の問題が残されていることを認めている。しかし、どこかから始める必要があると強調する。「中には、連邦が認めるまでなぜ待てないのかと言う人もいますが、これ以上待つなど馬鹿げています。もう25年も待っているのですよ。」
エイズの痛みと怒りの中で死を待っていたエバートさん
オドンネルさんを始めとする患者さんたちの努力で、ロードアイランド州はカナビスの医療使用を合法化したアメリカで11番目の州になった。しかし、議会を舞台にした公的の戦いの影には、癌やHIV、多発性硬化症などの重度の病気の存在と対峙するためにカナビスを使ってきた何百人もの患者さんのさまざまな個人� ��な思いが横たわっている。
ボビー・エバートさんがディーラーを探しにプロビデンスのケネディ・プラザに通っていた頃は、まだ医療カナビス法はなかった。
彼の体は、エイズの合併症に伴うウイルス感染症である強度の帯状疱疹に侵されていた。7年前にエイズの診断を受け、天職と考えていた地元のロックコンサートの企画や運営の仕事をあきらめなければならなくなった。体が火傷したように痛み、何も食べられなくなった。食べは吐くの繰り返しだった。何十種類もの鎮痛剤を試してみたが、せいぜい痛みが鈍く感じられる程度にしかならなかった。1日中、怒りを当たり散らし、ワーウィックの小さなアパートに閉じ篭もって死を待つだけのように感じた。
エバートさんは、インターネットの記事で、カナビス� �吸うとエイズの痛みが和らぐ可能性のあることを知り、自分でも試してみようと決心した。ディーラーはすぐに見付かった。カナビスを吸うと、この違法なドラッグが自分の痛みを和らげてくれるのがすぐに分かった。
痛みの喜びを見つける
それからはカナビスを探すのが日常になった。殴られたり盗んだこともあった。しばらくすると、自分だけではなく同じような境遇の人がいることにも気づいた。警察官がパトカーで巡回しているのも知っていた。カナビスを買って逮捕されるリスクを冒しながらも、警察官には共感も感じていた。彼らは仕事でそうしているだけなのだ。しかし、彼にとっては、カナビスが自分の人生を取り戻すために必要なのだと語る。
今は自分の人生が愛しい
カナビスを吸うと痛みは和らぎ、食欲が戻った。エバートさんは、それまで使っていたバイコディン、モルヒネ、フェンタニルなどの鎮痛医薬品をやめる決心をして、世話になっている医師にカナビスを吸ってい� ��ことを告げた。州の医療カナビス法が成立すると、エバートさんに推薦証を書いて励ましてくれた。
エバートさんの家族は彼が変わったと言う。76才になる母親のドロリス・ビショップさんは、先週、「惨め姿でいつも誰かれとなく当たり散らしながら、大変な痛みに囚われていました。ですが、今は全く生まれ変わりました。ご覧になってもおわかりのように、今の彼は完全な紳士です」 と話ながら微笑んだ。
48才になるエバートさんは、新しいフェンダー・ストラトキャスターのエレキギターを再び手に入れた。ギターには、かつてロードアイランド・エイズ・プロプロジェクトで世話をしてくれた恩人を忍んで「ヘザー」と名付けた。そのギターでプレイしている自分を感じている。
ミュージシャンとして活躍 していた頃の写真やアートワークが居間の壁に掲げられ、向かいの棚には使っていた鎮痛剤がいくつも置かれている。今では、自分の部屋から撒いた餌のコーンを食べに来てくれた野性の七面鳥や、窓の脇においたボールの水を飲みにやってきたシマリスを見て、感謝の気持ちで一杯になる。
現在、エバートさんはケアギバーにカナビスを用意してもらっている。しかし、連邦政府が助成して建てた住宅に住んでいるので、彼のような患者に対して、政府が何かしてくるのではないかと心配になる。2005年6月に連邦最高裁は、カナビスの医療目的の使用や栽培が州法で認められている人でも連邦が犯罪として起訴できるという判断を示しているからだ。
エバートさんは、この夏、民主党のシェルドン・ホワイトハウス上院� �員と共和党のジェームス・ランジュバン下院議員に手紙を書いた。二人とも彼を支持する返事を送ってきてくれた。
先月受け取ったホワイトハウス上院議員の手紙には、「医療カナビスの使用について州が合法と認めている場合、その範囲内でカナビスの恩恵を求めている患者さんが、連邦からの追訴を恐れるようなことはあってはなりません」 と書かれていた。
ランジュバン下院議員は、この7月、州の医療カナビス法で認定された患者を追訴するための司法省の財源支出を制限するすることを求めたヒンチー・ローラバッカー修正法案に賛成している。ランジュバン議員からの手紙は今週になって届いたが、エバートさんは、またまた帯状疱疹に襲われていた。すっかり気落ちして、「もう死にかけていることは分かって� �ます」 と打ち明けた。
しかし、命が残されている限りは、HIVで苦しんでいる人たちに、どんなに医療カナビスが助けになるか知らせたいとエバートさんは言う。
「カナビスを使う前の自分は怒ってばかりで人生を呪っていました。でも今は自分の人生が愛しい。人々の手助けになれることがうれしいです。同じような境遇の人に、自分がどんなふうに変わったかを話して、いつまでも同じ道を歩いていてはいけないと言ってあげたい。前に進むことを恐れている人が大勢いるのです。だらか、教えてあげたいのです。」
結婚式1ヶ月前に突然痛みに襲われたドュボイスさん
デニス・ドュボイスさんは、昨年医療カナビス認定カードを取得した時は、ちょうど法廷で命じられたリハビリを受けていた。担当の� �ウンセラーたちにそのことを話したらまごついて、少しおかしかったと笑う。
「彼らは、どのように扱ったらいいのか分からなかったのです。薬物の乱用ということでのリハビリでしたが、私が乱用しているのが自分にとっては薬なわけですから。」
彼は、州の医療カナビス法がまだ制定されていなかった2000年と2005年の2度にわたって、カナビスの栽培でウーンストック警察に逮捕されている。刑務所で2週間過ごしたこともある。ヘビーメタル・ロックバンドのリードボーカルでもあるドュボイスさん(35)にとっては、背中の痛みを和らげてくれるのがカナビスしかなかった。そのために、法を破るリスクを冒し続けてきたと言う。
彼は、背骨の下部に毛髪状のひび割れを起こして生まれてきた。199 9年の結婚式の1ヵ月前まではそのことに気づかなかった。両親の経営している旅行会社の手伝いに行っているときに、突如痛みが襲ってきて崩れるように倒れた。医師は深刻な椎間板変性病だと告げた。「この診断で、年を取るに従って症状が悪化していくことがはっきりしたのです。」
私はあなたを検索します
背骨にチタニュウムの棒を埋め込む手術を受けたが、痛みが余りに激しく2000年には障碍者として認定された。処方された鎮痛剤は突き刺すような痛みを少し鈍らせるだけだった。ちょっと動いただけでも疲労感に襲われた。そんな時に、症状の緩和のためにカナビスを吸うようになったと言う。
「生命、自由、幸福追求」
ある熱い日の午後、ドュボイスさんは、ウーンストックにある広いコロニアル風の屋敷の小さな寝室に立ち、室内のカナビス・ガーデンで自家用栽培器をチェックしていた。カナビスの小さな植物が鉢に顔を出していた。室内栽培場には、1日18時間の高圧ナトリウム灯の光を受けて背の高い植物が育っていた。
カナビ スの園芸のハウツー本を持ったエメリー・アーチボルト(51)さんも一緒だった。彼女はこの家の持ち主で、ドュボイスさん一家とは家族ぐるみの付き合いだった。住む所を探していたドュボイスさんを快く向かい入れてくれたばかりではなく、ケアギバーも引き受けてくれた。
アーチボルトさんは、ドュボイスさんを「自分の初めての息子」と呼んでいた。彼の苦しむ姿を見て、医療カナビスの運動家になった。アメリカ退職者協会の会合で、ドュボイスさんがストリートでカナビスを売ったりしていないことがどうやって分かるのかと聞かれたアーチボルトさんは即座に、「あなたは自分が使っている大切な高血圧の薬をストリートで売ったりするわけ?」 とやり返した。
ドュボイスさんは、慎重な園芸家のように植物の 葉に触って、本で学んだ方法について解説してくれた。他のカナビス栽培者たちも、健康で効力の強い植物の育てる方法をいろいろアドバイスしてくれると言う。
種やクローニングしたカッティングや余った収穫を他の患者さんたちと分け合いたいとも言う。「自分で栽培するどころか、ケアギバーすらいない患者さんがたくさんいるのです。時間とお金に余裕があって栽培してくれる人を見つけるのはとても大変なことなのです。」
医療カナビスによって、ドュボイスさんは昔の生活を取り戻しつつある。彼がリードボーカルをつとめるバンド、ラット・ポイズンは、最近、マサチューセッツ州ウェーマスのバーのレジュラー・ギグとして出演契約を結んだ。また、カナビスのおかげで、オキシコドンのようなヘビーな鎮痛剤� �序々に使わなくなってきている。
彼は、ドラッグで逮捕されたとき自分が最低の犯罪者だと感じたと言う。病気で結婚や家庭生活、仕事をする能力を失った。でも、今では、カナビスが、他の人を助けるという目的を授けてくれたと思っている。
「生命、自由、幸福追求」 という独立宣言の一節を引用しながらドュボイスさん言う。「自分にとっての幸福は痛みのない生活を送れるということです。カナビスがそうしてくれるのなら、一体だれがダメなどと言えるのでしょうか?」
屋根裏のサンクチュアリー
日が昇り空が薄く青味を帯び輝き始めた頃、ケリー・パワーさんは屋根裏の階段を慎重に登って窓際のいつもの場所に座った。夫は仕事に出かけ、子供たちはまだ寝ている。早朝のこのひとときは彼女だ� �の時間だ。
カナビスの入ったガラス瓶を手に取り、33回目の誕生日にプレセントされたガラスのパイプにカナビスを少し落とした。ライターを着火させてボウルに火をかざし煙を吸い込んだ。数秒間息を止めてから少しずつ煙を屋根裏の空気に向かって吐き出す。
はだか板に剥き出しの壁に囲まれた屋根裏は彼女のサンクチュアリーになった。以前は、暗く何もないこの場所には古い家の霊が宿っているような気がして登るもの恐かった。だが、今では早朝にここに来て、カナビスを吸い、詩を書いて、考えごとをする場所になった。
電線で休んでいる小鳥たちを見ながら、オークランド・レイダーズのマグカップのコーヒーをすすり、赤いノートを広げる。タトゥーにする絵柄を思い浮かべながら鉛筆で聖母マリアの天 使を描いた。「彼女とお話ししていると、やらなければことをきちんとやれるほど強くなれるの」 とパワーズさんは言う。
2006年7月7日、医師たちの支援もあって、パワーズさんは医療カナビス認定カードを取得することを決心した。その3週間前には、痛みと引き換えに失うものについて考えながら詩を書いた。
「将来に怯えている自分がいる。どうしたら良き妻でいられるのだろう?」
カードを取得する前、夫とキャンプ旅行に行ったときカナビスを試してみた。筋肉が緩み、痛みが引いていくのが分かった。夫のボブとオドンネルさんは、医療カナビスを使うことを強く勧めた。
生きる目的を神に見た
カナビスを使い始めたパワーズさんは、意識がもうろうとなり疲れきってしまう鎮痛剤への� �存を大幅に減らすことができた。州の法律では問題がなかったが、彼女はさらに信仰的な確信が必要だった。
彼女は自分の通う東グリニッチのルーテル教会の牧師さんとともに、神の前で自分が多発性硬化症であることや自分の怒りについて話した。パワーズさんは、カナビスを吸っているのは病気の痛みを和らげるためなのだと自分に言い聞かながら訴えた。牧師さんは理解を示して、彼女を支えることを約束してくれた。
彼女は勇気を奮い起こして、州の医療カナビス法を恒久化するかどうかを審議していた議会で証言をした。そのときには、教会の仲間たちが彼女のために祈ってくれた。彼女の証言がテレビのニュースに流れたとき、教会の人たちは、癌の人たちもこれで法律の恩恵が受けられるようになったと言って彼女の勇気に感謝を捧げた。
「これが自分の生きる目的なんだと� �じました。このようにして人々を助けることに係われる。自分の信ずることをやり遂げる力を神さまの中に見つけることができた。」
だが、カナビスは新たな病気の出現を止めてはくれなかった。筋骨格に広く疼痛が広がる慢性病の繊維筋痛症も診断で見つかった。物忘れがひどくなってショックだった。いろいろな瞬間を思い出すために何百枚も写真を撮った。ある日、子供と記憶ゲームなどで遊んでいると息子さんが言った。「ママ、ラッキーだね。ぼく頭いいから、物忘れしたときには教えてあげるよ。」
また、別の日、ケリーさんは昔の自分に戻ったような気がした。ボブが、多発性硬化症の支援グループの遠足で使うカラオケの器械を買ってきた。家族用の新しいキャンピングカーも来た。
遠足では、そばの静か な木立まで歩いていって、しばらく座って深呼吸をした。「薬でもうろうとしていれば物事を考えることもできないし、これからの人生について考えることができなければ、希望も失ってしまうけど、私は希望を取り戻したの」 と彼女は言う。
真夏の午後の太陽の下で
エメリー・アーチボルトさんの家の裏庭にあるプールの周辺は真夏の午後の太陽に照らされて熱くなっていた。州の医療カナビス法が恒久化されたことを祝ってロードアイランド患者支援の会のパーティが行われていた。この時のために、アーチボルトさんはカナビス・クッキーを焼いて用意していた。クッキーの横には 「医療カナビス患者のみ」 と書かれたカードが置かれていた。
ケリー・パワーさんはパーティの参加者たちの写真を撮っていた 。ボビー・エバートさんは弱って見えたが幸福そうだった。ロンダ・オドンネルさんも微笑んでいた。法律の共同提案者の一人である民主党のトーマス・スレーター議員がスピーチをしていた。
デニス・ドュボイスさんは、プールの対岸でギターを奏でていた。パワーズさんが写真を撮っていると、ドュボイスさんの右腕の力こぶのタトゥーの絵の雲が顔に見えるのに気づいた。彼女は、ある朝、物事がうまく行きますようにとお祈りしていたときにも同じような雲を見たと彼に話した。彼女には、雲の中の顔がキリストの顔に見えたのだった。
一人の患者さんがジョイントを回してきた。ドュボイスさんは笑わずにはいられなかった。ちょっと前にはこれで刑務所に入れられことを思い出したのだった。アーチボルトさんは、� �この州で最初の合法的なカナビス・パーティ」 と言っていた。
一人の女性が裏庭のステップを一歩一歩ゆっくりと登った。医療カナビス法の火付け役になったオドンネルさんだった。「私の大好きだった看護士の仕事には戻ることは叶いませんが、医療カナビス法の成立に向けて努力することで、多発性硬化症や癌やHIVなどの重度の慢性的疾患に苦しむ数多くの患者さんが、従来の医薬品にともなう倦怠感や疲労感もなく痛みを軽減できるようにするお手伝いができました。」
彼女は州の医療カナビス認定カードを取得した最初の人になった。早速、76才の義母と連れだってワーウィックにあるヘッド・ショップにガラス・パイプを買いに行った。店員に使いかたの説明を聞いて、オドンネルさんがパイプを2服ほどふ� �すと、手足の焼け付くような痛みがすぐに和らぐのが分かった。
彼女は、自分の父親も死ぬ前に同じような安堵の気持ちを体験してほしかったと言う。
ウォルター・オリアリーさんが黒色腫と診断されたのは、オドンネルさんの今の歳の数年後のことだった。1980年に50才で亡くなったとき、オドンネルさんは18才になったばかりだった。彼女は最近になって、父親が痛みの緩和のためにカナビスを使っていたことを知った。
「私の父親は立派な人で法を遵守する人でした。そんな父親が逮捕されないようにこそこそとカナビスを吸っていたのです。それからこの27年間にどれだけの人が逮捕を恐れながらカナビスを使っていたのでしょうか? 吸いたくても違法で吸えない人がどれだけいたのでしょうか?」
法律は愛する父には遅過ぎた。「みんな違法であることで悩んでいたのです。でも、今はその必要もなくなりました。」
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