さて、「死にたい」と検索して
このブログに行き着いた方も多いでしょう。
ですから、今回の記事では
「死にたい」という感情はとても大切なんだ。
という事を
考えたいと思います。
特に、「死にたい」と感じて、
凹んでいる方に読んで頂きたいと思います。
「死にたい」という感情は
非常に大切な感情です。
「いったい何を言っているの!?
そんなはずが・・・」
このように感じた方は
多いのでは?
でしょうね。
しかしながら、
確かに「死にたい」という感情は
とても大切です。
なぜなら、
私たちが「死にたい」と感じる能力がなければ
私たちは今頃、死んでいるからです。
どのような意味でしょうか?
分かりやすく
説明するなら。。。
「痛み」って
大切だと思われませんか?
私たちは「痛み」を感じるからこそ
その「痛み」に対処できるのです。
例えば、
あなたの足に
太くて鋭いトゲが刺さったとします。
グサッ!
当然あなたは「痛い」と感じて、
ピンセットで足の裏のトゲを抜こうとします。
足と顔がくっつく程、真剣になるでしょね。
avramと噂を歌った文字
さて、
ここからがポイントですが。
仮に、「痛み」を感じなかった場合
どうなると思われますか?
足に鋭くて長いトゲが刺さったのですが、
あなたは「痛み」を感じません。
当然、トゲが刺さった事に
気づかないでしょうね。
。。。すると
どうなるでしょうか?
恐ろしい事が起きます。
そのトゲから
危険な黴菌が足に侵入します。
そして、黴菌は足全体に
ウヨウヨ広がり始めます。
足がどんどん、
どす黒い紫色に変色する様子が分かるでしょう。
すると、筋肉が腐り始め
神経が冒され感覚が麻痺します。
最終的には?
足を切断です。
そんな酷い状況になるまで
なぜ放っておいたのでしょうか?
「痛み」を感じないからです。
「痛み」は大切なのです。
なるほど、
「痛い」という感情は確かに不快ですよね。
しかしながら、
「痛い」という感情は非常に大切なのです。
「痛み」は、状況がそれ以上悪化しない為の
「アラーム(警告音)」だからです。
「痛い」という感情があるからこそ、
足のトゲが刺さってすぐに対処できるのです。
三人組のために準備するもの
「痛い」という感情があるからこそ、
熱いヤカンに触れた瞬間に、手を引っ込めます。
これで、
「痛い」という感情は確かに「不快」ですが、
非常に大切だというのが分かって頂けたと思います。
同様に
「死にたい」という感情も
非常に大切です。「不快」ですが。
「死にたい」という感情に対して
嫌悪感や罪悪感を抱く必要は全くないでしょう。
むしろ感謝すべきです。
火災報知器が
鳴ったらどう反応しますか?
ジリリリリリーーー!
カジデス。カジデス。ヒナンシテクダサイ!
「はぁ、うるさい。。。
ほんと最悪。。。」
と思うでしょうか?
そうではないでしょうね。
火災報知器が「正常に」作動するからこそ
非難を始める事ができるのではないでしょうか?
そして「正常に」警告してくれた事を
感謝するのが普通ではないでしょうか?
ジリリリリリーーー!
カジデス。カジデス。ヒナンシテクダサイ!
「火事だ!避難しないと!
(報知器が正常に作動してくれて本当に助かった)」
「死にたい」という感情も
言わば火災報知器が「正常に」鳴っている状態です。
離れて実行することをここに保つものである
確かに、「死にたい」という感情は
心地よくはありません。むしろ辛い。
それは確かです。。。
しかしながら
「死にたい」という感情は
とても大切な感情です。
これも確かなのです。
さて、火災報知器が鳴り響くのは
何のためでしょうか?
そうです。
避難する為です。
聞いた人達が
今いる場所から「逃げる」為です。
「死にたい」という火災報知器が
鳴るのはなぜでしょうか?
そうです。
避難する為です。
聞いた私たちが
今いる場所から「逃げる」為です。
私たちは「痛み」を感じるからこそ
避難する事ができるのです。
あなたが「死にたい」と感じるからこそ
今の状況を変えようと考える訳です。
私たち人間は、初期設定において
「痛みから逃れ、幸せに向かう」
という機能を持っています。
あなたが
「死にたい」
と感じるのであれば。。。
それは「幸せ」に
向かっている証拠なのです。
あなたの脳は、
正常に機能しております。
あとは、避難するだけです。
「幸せに向かう」だけという事です。
それにしても
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